岡部 光男 作品集     
 
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『日車散策』 2015年9月 / F10号


日車(ひぐるま)は、向日葵(ひまわり)の別称です。和歌や俳句などでは、
向日葵と書いて「ひぐるま」と詠まれることがあります。日車は真夏の代名詞、
そのでっかい花は太陽に喩えられていますが、周囲の黄色い花弁は
「舌状花」(ぜつじょうか)で、後に種になる中心の焦げ茶色の小さな花々は
「管状花」(かんじょうか)と呼ばれ、この小さな管状花たちが受粉して、
一つ一つの種に実ってゆくとのこと。
群がって咲いている日車畑を散策していて、私は一つ一つの管状花はそれぞれ
異なった人間の面(つら)に見えてきた。真夏の炎天下、風にゆれながら管状花たちは
なにやら私に話しかけてくるのです・・・。
 


『不二のごとく』 2015年3月 / F10号


私は、自分流の「喜ぶ」絵画の創造を生涯のテーマにしています。
己を全てさらけ出さないと、私の絵は一つとして自分流の生きたものに
なりません。この度もそのような想いで、高名な画家だった叔父が残した、
不滅の真理を表す言葉を賛に掲げました。
「この道は無窮なるが故に亦楽し」



 


『鬼たち観戦』 2015年1月 / F30号


相撲力士の力士とは四股名を持った相撲取りを総称しているとか。大相撲の横綱には、
どんな相手にも胸を貸して受けて立ち、正々堂々とした相撲を「横綱相撲」として賞賛
されているが、目先の勝負にこだわった相撲が目につく昨今。外国力士が幕内上位を
占めた大相撲を観るたびに、とりわけモンゴル出身力士のずば抜けた足腰の強靱さには
真底驚嘆する。それに反して、邦人力士たちから時折、不甲斐ないひ弱な相撲を観せら
れた時は「渇」を入れたい気持ちになる。客席に詰めかけた老若男女の鬼観衆の厚い声
援にどのように応えた相撲をとるのか。大相撲はいずれの場所でも地元贔屓の鬼たち観
衆は、かっての「栃・若」「柏・鵬」時代の再来を待ち望んでいる。


 


『妖鬼の饗』 2014年9月 / F10号


鎌倉時代から江戸時代に至り、綴り継がれてきた「拾芥抄」(じゅうがいしょう)では、
夜行夜途中歌の一つに「タカシハヤ、エカセニクリニ、タメルサケ、テエヒアシエヒ、
ワレシコニケリ」と呪文を唱えれば、百鬼夜行からの難を避けられると記されています。
この呪文の意味は全く分からないですが、しかし妖怪は決して恐れおののくものでなく、
妖怪伝承者の水木しげる氏曰く「万物に魂あり。万物に怪あり。」の言葉を併せると、
そこになんとも言えない深遠な世界がひろがってロマンを感じるのです。


 


『人面曼荼羅』 2014年3月 / F10号


曼荼羅(まんだら)は、仏教の世界観を表すと伝えられております。小生は全て「遊び」の世界に
芸術の真実が存在すると信じて、足るを知って“有り難い”すなわち「知足按分」に、
喜びと感謝する心境に真理を見出し、上手く描きたいではなく、自由で、自己に内在している
絵を力強く描き続けたいと思っております。



 


『練り場』 2014年1月 / F30号


祭りといえば、なんと言っても親たちの郷里である姫路南東部の秋祭りがすごい。
その祭りは徹底した氏子本位の歴史を持つ“妻鹿(めが)のけんか祭り”、
別名 “灘のけんか祭り”と呼ばれその行事に心が惹かれる。
“ヨーイヤサァー ヨッソ イ”の掛け声をあげて7ヶ町の各地区から「練り場」に集まって
繰り広げられる屋台(やったい)の盛大に練り競う勇壮な光景を観ると、テンションが上がり
自分 がまるで勇ましい雄姿にでもなったかのような気持ちになってゆく。
この絵は、 特定の祭りを描くつもりではなかったが、いつしか“ヨーイヤサァー ”
と口ずさんで筆を持って制作していた。
きっと播磨灘の人々の豪快な血潮が小生のDNAにも確実に刻まれ
受け継がれているのではないかと思う。
 


『小さなトリル』 2013年11月 / F10号


トリル(Trill)とは音楽においては装飾音(そうしょくおん)を意味し、音を上下に揺らしたり
加えたりして旋律を飾ることですが、この作品は、絵画が音楽のトリルで導かれてゆき、
心中、一帯感に浸り、楽しみながら装飾風に制作した。






 


『カプリース』 2013年3月 / F10号


カプリース(caprice)は音楽では“奇想曲”と訳されているが本来は、“気まぐれ”という意味。
著名な作曲家達は、“カプリース”として心情や風景等を思いのまま遊び心とともに
曲を創作し数々の名曲を残している。
“奇想曲”とすれば、どこか真面目臭いイメージがつきまとい適切な訳と思えない。
この絵は、気まま放題、気の向くままに楽しみながら画面に作画過程を綴った。
まるで私意という凧が、糸が切れて浮遊するように自由自在。
制作が進むにつれて、作曲家 の気持ちがだんだん理解出来るようになってきた。


 


『阿吽の輿(あうんのこし)』 2013年1月 / F30号


阿吽(あうん)は、吐く息と吸う息を合わせて「阿吽の呼吸」として、
動作や間合いが一致する意味になっている。密教では、「万物の根源」と「一切が帰着する知徳」
の象徴とされている。詰まるところ、万物の始まりと、その結びの循環を説いている。
ところで、唐の時代、国清寺に居たといわれる伝説的な風狂の僧、寒山は、
多くの漢詩を後世に残している。
なかでも、時の流れや生と死について、あたかも自問自答しながら
創作したと思える五言絶句の詩がある。この詩から、「阿と吽」が思い浮かんだ。
阿吽はこれまでに描いたことのあるテーマだが、この絵は、その五言絶句の詩を、
小生にはいささか身の丈に分不相応だと思いつつ、このような、せま苦しい周囲に画賛し、
群衆の輿に擬(なずら)え混然とした阿吽 の面(つら)を描いてみた。
 


『プチコンサート』 2012年9月 / F10号


ちいさなコンサートの楽しみは、ミニ空間で、独奏者や、小人数のアンサンブルが
いわば普段着で奏でる親しみがある。曲とともに演奏者の気持ちが、聴衆にダイレクトにつたわり、
聴衆の心を暖め、全てが一体となって、音楽のよろ こびに浸ってゆく。
それがプチコンサートの醍醐味だ。




 


『噺家』 2012年3月 / F10号


小生は落語寄席のCDを聞きながら絵を画くことが好きだ。
この度は、招き絵風に「噺家」を描こうと思い立ち、誰憚ることなく笑い転げて
気持ちの上で贅沢三昧に制作した。落語を聞きながらの制作は、
知らず知らず気持ちが大らかに膨らみ、何事も寛容の面持ちになってゆく。
笑ってばかりで、つい、描く手がお留守になってしまわないように!



 


『不二礼賛』(ふにらいさん) 2012年1月 / F30号


不二(ふに)は、一口には言い尽くせないが、互いに異なっていると見えていても、
根本において全て一体であって、結果において同一系界そのもので森羅万象、
平等を指している言葉ではないかと私意している。江戸時代の漢詩人の祖と謂われている
石川丈山の漢詩「富士山」28字を単なる賛画ではなく背景文字に写し、
行き詰まった現在に生きるものとして心の叫びを描いてみた。




 


『邪鬼』 2011年9月 / F10号(2019年2月改作)


四天王像に踏みつけられている邪鬼(じゃき)は、おぞましい鬼とされているが、
必死に重圧に耐えているその姿は、四天王を支えている縁の下の力持ちであると解釈される。
だれからも嫌われている鬼だが、立派に、世の中の役に立っているのである。
邪鬼像を見直さなければならない。




 


『ふじ』 2011年3月 / F10号


小生は「日本画」を描いていると話すると、殆どの方々は「えっ!」と言って聞き返す。
この作品は、折しも「東北地方太平洋沖地震」が勃発した3月11日(金)、
作画予定の絵を急遽取りやめて、悲しみの涙、怒りの涙、復興の涙を、この時に描かねば
ならないといった衝動に駆られてこの夜「富士山」の雄姿をお借りして制作に着手した。
綺麗であってはいけない、上手くあってはいけないとの信条で、
作画技術をできうる限り捨て去り、いささか勝手が異なるが無の心を込めて作画に取り組んだ。



 


『寒山と拾得』 2011年1月 / F30号


再び、寒山作と伝えられている魂詩を賛画する重いテーマに挑んでみた。
この詩を要約すると、寒山は岩窟にひっそりと暮らし、時には天台宗国清寺に豊干禅師を尋ねたり、
拾得さんに会ったりするが、いつも居る岩窟にもどってしまうと会同し語る友はもういない。
思想を、無源の水の流れを探求する事に換言すれば、本来の源泉はゆきづまっていても、
水はどこからとも流れてきて尽きることはないように、真理の追究を目指しているものに
脈々と受け継がれる・・・。多くの寒山詩のなかで、豊干(ぶかん)、拾得(じゅっとく)の名が
でてくる唯一の詩と言われており、所謂、豊干は釈迦に、寒山は文殊菩薩に、拾得は普賢菩薩に
たとえられた説話や3人が和合象徴の原点の詩と尊ばれている。
この詩はオリジナリティの絵画を創造するものにとっても至極当然な道理であり、
あらゆるものに 当てはまるものと思われる。